2026年4月4日、
読谷村波平のチビチリガマで、遺族会による慰霊祭が開かれました。
大雨の中、遺族や関係者など多くの方が参列し、ガマの中で手を合わせ、犠牲者を追悼しました。
遺族会会長のあいさつ(代読)では「アメリカとイスラエルはイラン攻撃を止めるべきです。今こそ話し合いによる早期解決に向けた取り組みを日本が中心になって各国に訴えるべきではないでしょうか。チビチリガマが恒久平和の発信地になることを望みます。」と述べました。
慰霊祭には、日中戦争で日本軍の爆撃や細菌戦で犠牲になった中国から中国和平訪問団も参加し、母親が細菌戦で2人の弟を亡くした男性は「二度と戦争を起こさないため、沖縄の人々と連携して一緒に平和になるよう頑張っていきたい」とあいさつしました。
※チビチリガマの出来事
沖縄戦当時、アメリカ軍が沖縄に上陸した4月の始めは、沖縄はちょうど梅雨に入り始めていた時期を同じく、チビチリガマには約140人の住民が避難していました。
米軍は上陸した1945年4月1日中にチビチリガマを見つけて投降を呼びかけたものの、日本軍が中国で捕虜や住民を虐殺していたことを知る人や、「米兵に捕まればひどいことをされて殺される」と教え込まれていた住民たちは、布団に火をつけ、刃物で切りつけ合い、毒薬の注射を打つなど「自決」が強行された場所。
当時の皇民化教育が大きく影響していたとも言われています。
一度起きた戦争の傷跡は癒えることはありません。
戦後81年目のチビチリガマの慰霊祭では、”チビチリガマ世代を結ぶ平和の像”の制作者金城実さんは「なぜ身内同士が殺し合い行うような極限状態に追い込まれなければならなかったのか、チビチリガマの慰霊祭は二度と悲惨な戦争を繰り返さないために学習する日。涙を流す代わりに平和へ向け行動しよう。」と呼びかけました。
チビチリガマ慰霊祭 【20260404】
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