アメリカ人が触れた昭和天皇の大御心
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天皇についてなかなか理解できないアメリカ人ですが、過去に一度、天皇の大御心に直接、触れる機会がありました。そのことについて紹介しましょう。
1975年9月から10月にかけて、昭和天皇と香淳皇后両陛下による初の訪米がなされました。厳密には、両陛下の訪米は1971年のヨーロッパ訪問の際、給油のために立ち寄られたアンカレッジが先になりますが、公式訪問としてはこちらが最初として差し支えないでしょう。
当時、天皇に対するアメリカ国民の感情は、決していいとは言えませんでした。戦後、30年たってもアメリカ国民はパールハーバーを忘れてはおらず、天皇の戦争責任を問う声は今よりもはるかに大きなものでした。この訪米自体、戦争を知る要人たちのほとんどがこの世を去ったあとに実現したと言われています。
そんな厳しい世論の中、昭和天皇はホワイトハウスでのフォード大統領夫妻主催の歓迎晩餐会で、次のようなおことばを発せられました。
私たちは、ウィリアムズバーグで、貴国訪問の旅の第一夜を過ごしました。建国当時の面影を今に伝える、かの地の美しい街並みと、落ち着いた風情に触れて、旅の疲れを十分に癒すことができました。今宵、この歴史的なホワイトハウスで、閣下と席をともにしておりますと、貴国の建国当時のことに想いがめぐります。
私は多年、貴国訪問を念願にしておりましたが、もしそのことが叶えられた時には、次のことを是非貴国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争の直後、貴国が、我が国の再建のために、温かい好意と援助の手をさし延べられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。当時を知らない新しい世代が、今日、日米それぞれの社会において過半数を占めようとしております。しかし、たとえ今後、時代は移り変わろうとも、この貴国民の寛容と善意とは、日本国民の間に、永く語り継がれていくものと信じます。
陛下のおことばに対して、会場からは大きな拍手が巻き起こり、晩餐会は予定の時間を大幅にオーバーして深夜にまで及びました。
敵国の元首が初の訪米でいったい何を語るのか。注目の中で発せられたのは、意外にも、アメリカ国民への感謝の言葉だったのです。
ちなみに、おことばにある「我が国の再建のため」の「温かい好意と援助」というのは、アメリカが占領期間中に日本に供与した対日経済援助のことを指します。終戦当時、農水大臣だった松村謙三の『三代かいころく回顧録』によれば、昭和天皇は食糧危機に瀕する自国を鑑み、「多数の餓死者を出すようなことはどうしても自分にはたえがたい」と述べて、皇室の御物(ぎょぶつ)の目録を松村氏に差し出し、「これを代償としてアメリカに渡し、食糧にかえて国民の飢餓を一日でもしのぐようにしたい」と伝えられました。これに対し、幣原首相を介して目録を差し出されたマッカーサー元帥は、それを受け取ることなく、「自分が現在の任務についている以上は、断じて日本の国民の中に餓死者を出すようなことはさせぬ。かならず食糧を本国から移入する方法を講ずる」と請け合ったといいます。
1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けた経済援助の総額は、約18億ドルにのぼり、この援助がなければ日本の復興は考えられなかったといわれています。その恩をいつまでも忘れることなく、感謝の意を述べられた天皇に、アメリカ国民はいたく感動し、それ以降、天皇の訪米に否定的だったマスコミ報道も好意的に変わったといいます。当時のニューヨーク・タイムズ紙は、その社説で「30年前の仇敵(きゅうてき)、勝者と敗者は今日、政治、経済上のパートナーとなった」と評し、このご訪問を暖かく報じました。戦争という悲惨な過去をも超越する、まさに天皇の大御心にアメリカが包まれたのでした。
天皇という世界の奇跡を持つ日本 天皇誕生日記念/ケント・ギルバート
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