8月15日は終戦記念日です。終戦から73年がたった今も、東京都内にもあちこちに戦争の爪痕が残っています。こうした「戦争遺跡」と呼ばれる場所を巡って写真を撮り続ける、79歳のアマチュアカメラマンの思いを取材しました。
アーチ状のコンクリートに向けてシャッターを切る男性は、稲城市に住む増田康雄さん(79)です。レンズの先にあるのは、掩体壕(えんたいごう)という、戦闘機を空襲から守るために作られた旧日本軍の施設で、10年前に府中市の文化財に指定されました。増田さんは「住宅に囲まれた中にぽつんと残されているのは、歴史の時間を感じるところ。当時、住宅は1つもなかったはず。73年の月日を感じる」と語ります。
増田さんは定年まで放送局で勤務し、その後、70歳を過ぎてから自分が住む多摩地域に残る戦争遺跡の撮影を続けています。これまでに43カ所を巡り、およそ600枚の写真を撮りました。増田さんは自らが撮った写真を眺めながら「日立航空機のエンジンを作っていた場所では111人の犠牲者がいる。生きることと死ぬことのはざまが軍事遺産になっている」と語ります。
撮影を続ける中で戦争遺跡への興味が高まったという増田さんは、2017年に初めての写真集を出版しました。写真集には武蔵野市の寺に保存されているアメリカ軍が落とした250キロの不発弾や、空襲で幹の半分が焼けた柿の木など、いまも残る戦争の爪痕が収められています。
増田さんが戦争遺跡を撮り始めたきっかけは、8年前にさかのぼります。当時を振り返り「写真学校に通っていて、何をテーマに写真を撮ろうか悩んでいた時に戦争遺跡というものを知って、本当に衝撃を受けた」といいます。また、子どもの頃の戦争体験も影響しています。中野区に生まれ、6歳で終戦を迎えましたが、当時の風景はいまも鮮明に覚えているとして「中野の庭に簡単な防空壕(ごう)があったが、B29の編隊が千葉へと何十機もキラキラと銀色に輝きながら飛んでいった姿を覚えている」といいます。そして戦後、自宅の近くで不発弾が見つかったことから「一歩間違えたら死んでいたかもしれない」と、戦争の恐怖が身にしみたとしています。
増田さんは「若い人は戦争というものの体験がないから、戦争の怖さを知らないと思う。多摩地域にもこれだけの戦争遺跡が残っている。写真集を通して若い人たちに知ってもらいたい」といいます。そして、撮影を続けるとともに、増田さんは自治体に戦争遺跡の保存を呼び掛けています。増田さんは「物がなかったり、家が焼けたり、多くの人が死んだのが、頭に残っている。大人になっても消えない。その要素が自分の中に染み込んでいるのかもしれない」と語り、今後、多摩地域だけでなく関東に残っている戦争遺跡を生涯かけて撮影する考えです。
東京の「戦争遺跡」 生涯かけて撮る…79歳カメラマンの思い
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