東京・伊豆大島の中心部を直撃し、死者36人、行方不明者3人を出した土砂災害から、10月16日で5年がたちました。現地では追悼の催しが開かれ、町の人たちは復興への思いを新たにしました。
16日は正午すぎから黙とうがささげられ、島は鎮魂の思いに包まれました。大島町の三辻町長は式典の中で「ご家族や被災された方々が置かれた状況に寄り添いながら、心の復興の道を歩んでいく」と誓いました。
今からちょうど5年前の2013年10月16日、台風による豪雨で大規模な土砂災害が発生しました。流れ込んだ土砂や倒れた木が未明の町を襲い、36人が死亡し、今も3人が行方不明のままとなっています。災害からの復旧を誓った大島町は10年間にわたる復興計画を作り、被災者の生活再建支援や地域基盤、インフラの復旧など4つを柱に再建を進めています。大島町によりますと現在、計画通り、中期の復興事業が行われているということです。また、土砂崩れの現場となった場所では2017年からメモリアル公園の建設工事が進められ、2021年度に完成する予定です。
町では復興に向けて日々、工事が続けられているほか、犠牲者を悼む催しも多く開かれています。15日夜、町では犠牲者と同じ数のキャンドルがともされました。そこで静かに手を合わせていたのは清水勝子さん(61)です。清水さんは「やっぱり思い出す。寂しい」と語ります。当時、大島の老舗ホテル「椿園」でおかみを務めていた清水さんでしたが、ホテルがあった元町神達地区は被害が大きく、一晩で土砂に飲み込まれました。案内してくれた清水さんはホテル跡地を指差し「玄関がちょうど山に向かってあった」と説明しました。
幸い、泊まっていた客や家族は全員無事でしたが、土砂に埋まった2階建てのホテルは取り壊しを余儀なくされ、庭に咲き誇った800本ほどのツバキは大半が流されました。清水さんは当時を振り返り「一番最初に山を見たら、神様の手が山肌をひっかいたように見えた。これは大変な災害になったと感じた。今までの私が知っている神達地区の景色とはまるで違った景色になっていたのでがく然とした」と語りました。30年働き続けた思い出のホテルはなくなり、同じ地域で過ごした友人は帰らぬ人となりました。
心の整理がつかなかった清水さんでしたが、周囲の人に励まされる中で次第に「自分にできること」を考えるようになったといいます。そして、敷地に奇跡的に残った建物で始めたのが「語り部」の活動です。清水さんは「自然はコントロールできないので、いつどこで何が起きるか分からない。その時に犠牲者が出ないように、少しでも災害が小さくなるように、伝えていかなければいけないのではないか。経験した人が伝えていくべきだと感じた」と語ります。清水さんはこれまで、島を訪れた大学生やボランティアに自然災害の恐ろしさや日頃の蓄えの大切さ、過去に何度も災害に見舞われた大島がどのように復興してきたかを語ってきました。そして、災害から5年の節目に、記憶を風化させないためにも「語り続ける」ことが大切だと感じていると話します。清水さんは「私も年を取っていくし、自分自身の記憶も風化してしまうかもしれない。だから、感じたことを今、言わなければ、自分の気持ちもなえてしまうかもしれないし、今、言うことが大切なのかなと思う」といいます。
その思いは、島の子どもたちにも受け継がれています。子どもたちは「災害を経験していない子に、こういうことがあったよと教えてあげて、危ないこともあるよと教えていけたらいい」「小さい子にも注意しながら、遊んだり伝えていきたい」と話します。
清水さんは多くの人に大島に来てもらい、復興していく姿と経験を伝え続けていきたいと考えています。清水さんは「大島は復興の島だと思っている。災害が何度もあっても立ち直る島なんだと」と話し、「島に来ていただいて、伝えられることがあったら伝えていきたいと思っています」と前を向きました。
伊豆大島・土砂災害から5年 復興への思い新たに
カテゴリ一覧
スポーツ
ニュース
音楽
ラーニング
趣味
グルメ
ガールズ
ゲーム
ギャンブル・宝くじ
エンタメ
アニメ・漫画
どうぶつ