東日本大震災から間もなく10年。JNNでは「つなぐ、つながるプロジェクト」として各番組横断で被災地の今をお伝えしています。宮城県・気仙沼市であの日、夫を亡くした女性は、「届かなかった」思いを胸に夫の夢をつむぎます。
東北の漁業の拠点として栄えてきた、気仙沼市。この街で4代続く酒屋の女将を務めるのが菅原文子さん(71)です。
「いろんなことがあって10年たちましたね。私にとっては3.11は、あの日のことはいつもすぐ近くにある。こう目を閉じて手を伸ばすと届くような、そういう感覚なんですねずっと」(菅原文子さん)
手を伸ばすと届くようだと語る菅原さんの、10年とは。あの日、菅原さんの店があった鹿折地区は激しい揺れに見舞われました。親戚を心配し、様子を見に出かけた夫・豊和さん(62)。その帰りを待っていた時でした。
「黒い津波がすーっと入ってきたの。みるみるうちに太ももから腰辺りまであっという間だったの。お父さん早く早くって、早く上がってきてって言ってたの」(菅原文子さん)
11メートルの巨大な津波が豊和さんのすぐ後ろに見えた、その瞬間。
「お父さんが私の手をこう・・・伸ばして、本当に手を取った瞬間にものすごい(津波が)ばーんって来て、お父さんがかぶっていた帽子がぱーんと飛んで・・・」(菅原文子さん)
届きそうで、届かなかった手。それが、菅原さんが見た豊和さんの最後の姿でした。
そのころ、菅原さんの次男・英樹さんは市内の高台に避難していました。津波から逃げながら撮影したのが、この写真。あの日を境に生まれ育った街は大きく変わりました。
「故郷が故郷じゃなくなってるみたいな。当時の建物もほとんど無いですし、離れた方もいらっしゃいますし、全然前と違うので」(菅原英樹さん)
震災前は商店が建ち並び活気のあふれる街だった鹿折。人口は4割近く減り、地域の繋がりも薄れてしまったといいます。
「ここです、ここにうちの店がありました。被災したときはみんなで頑張ってまたここに戻ろうねっていう、思いだったんだけれども、やっぱりいろんなことがあって、結果的にはみんなバラバラになってしまってね」(菅原文子さん)
10年経っても元には戻らない街。それでも、菅原さんは鹿折を離れませんでした。そこには変わらない豊和さんへの思いが。
「主人がこの鹿折、この地元が大好きな人だったの」(菅原文子さん)
女将として鹿折に店を再建。店は豊和さんの夢だった100年目を迎え、この3月には多くの人に直接、近況を伝えることができると思っていました。しかし。
「コロナ禍によってまた何か、立ち止まってしまったというか、10年お世話になった人と会って話をしたかったのに、それもできなくて・・・」(菅原文子さん)
直接会えない今、全国の人たちへ自慢の地酒と共に手書きの、のしでメッセージを送ることにしました。
「これを入れてやることでつながるかな、さらに思いが届くかなと思って」(菅原文子さん)
10年分の感謝の思いを込めて・・・。
「安心して会えるときにはぜひ、皆さまのおかげでこうなりましたというのを、皆さまの目で確認していただきたい」(菅原文子さん)
(07日14:27)
“夫の夢”老舗復活にかけた女将の10年【#あれから私は】
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