想像を超える急勾配。息を切らしながら頂上まで登ると、眼下に呉の街が一望できた。
山の斜面に民家がひな壇のように並ぶ「階段住宅」で知られる広島県呉市の両城地区を歩いた。
瀬戸内海に面する呉は、背後を山に囲まれ、正面を江田島が守る国防上の良港だ。
もともとは「呉浦」と呼ばれる半農半漁の小さな集落だったが、明治22年の呉海軍鎮守府の開庁が転換期となった。周りに造船所や兵器工場が建設され日清、日露戦争の影響で拡張の一途をたどると、全国から呉に人が集まった。最盛期の昭和18年には市の人口が40万人を超えた。急激な人口増を迎えたが平野部は軍用地に充てられたため、住宅は郊外や高台に造られることになった。
なかでも両城地区は45度にもなる急傾斜に住宅が立ち並ぶ独特の景観になった。
同地区で生まれ育った末永哲夫さんは「戦時中は両城の高台にはサーチライトが設置され、夜空を照らす光景が怖かった。自宅には防空壕もあった」と振り返る。先の大戦では、米軍の複数回にわたる空襲で呉市中心の大部分が焼失したが、両城は被害をまぬがれた。戦後は造船、製鉄、製紙など企業を誘致し発展を続けた。
「高度経済成長期には、製鉄所は日夜作業していて、子供も多く活気があった」と末永さん。
しかし、昭和50年をピークに呉市の人口は減少傾向に。今も海軍の士官が多く居住していた和洋折衷のモダンな家が残るが、急傾斜地では建て替えが難しく、空き家が増えている。
戦争、高度成長、人口減ー。両城から見る景色は近代日本史の一ページのようだった。
(写真報道局 松井英幸)
【探訪】急坂に刻まれた激動の近代史 広島・呉「両城地区」
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