豊臣秀吉の弟、秀長が居城としたことでも知られる郡山城(奈良県大和郡山市)で、16世紀後半の安土桃山時代に天守閣があったことを裏付ける礎石が初めて確認され、大和郡山市教委が12日、発表した。高さは15~20メートルで南北18メートル、東西15~16メートルの天守台に5階建てだったと考えられる。関ケ原合戦以前の天守閣の構造が分かる発掘成果は珍しく、専門家は「大阪城の構造解明にも貴重な史料」としている。
郡山城は16世紀後半の天正期に築城が始まったとされ、天正13(1585)年に豊臣秀吉の弟、秀長が入城。その後、養子の秀保や五奉行の1人、増田長盛が居城とするなど“首都・大阪”の東を守る重要拠点だった。
だが、現在は石垣や堀の遺構が残るのみ。天守閣の存在を示す史料はほとんどなく「幻の城」とも呼ばれ、存在自体や建設時期についても諸説あった。
今回の調査で、南北18メートル、東西15~16メートルの天守台に東西3列、南北2列に渡って建物を支える大小の礎石を23個確認。改修された跡はなく、豊臣家に関わる限られた城で見られる金箔(きんぱく)がついた瓦片や、大阪城と同じ型を使った瓦も出土した。出土品から、16世紀末の秀長、秀保、長盛の時代に天守閣が作られたと分かった。
この時期の城は、関ケ原以降に徳川政権が確立される中で建て替えられたものも多く、織田・豊臣時代の天守閣についてはほとんど史料がない。奈良大学の千田嘉博学長は、「同時代の城の構造を知る上で重要な手がかりで、豊臣時代の大阪城を考える上でも重大な発見」としている。
現地説明会は19、20日の午前10時~午後4時。問い合わせは大和郡山市教委生涯学習課(0743・53・1156)。
豊臣秀長の居城・郡山城に5階建て天守か?礎石を初確認
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