「特攻の町」と呼ばれる鹿児島県・知覧。第二次世界大戦末期、若い飛行兵たちが陸軍特別攻撃隊として、爆弾を装着した戦闘機で敵艦に体当たりするため、この町の飛行場から沖縄に向けて飛び立った。
あれから70年。基地の跡地は陸上競技場やサッカー場などもある約23ヘクタールの「平和公園」として整備された。今、ソメイヨシノやヤマザクラが見頃となり、家族連れらのにぎやかな声に包まれている。
公園内の「知覧特攻平和会館」の資料によると、この作戦で亡くなった特攻隊員は1036人、その半数近い439人が知覧から飛び立ち、帰らなかった。
当時、基地近くで食堂を営み、隊員を見送り続けて「特攻の母」と呼ばれた鳥濵(とりはま)トメさん=平成4年死去=が戦後、各地から来る遺族たちのために始めた富屋旅館の3代目女将、鳥濵初代さんは「隊員の洗濯や食事の世話などをした女学生たちは出撃する隊員の顔は見られず、桜の枝を振って見送ったそうです」と教えてくれた。
基地の桜は戦後、すべて焼かれたという。今ある約600本は後に植樹されたものだ。それでもここを訪れた人は、散りゆく花びらに、若き特攻隊員の姿を重ね合わせるのだろう。
◇桜にはさまざまな思いが込められる。戦時、人は愛するもののため桜のように命を散らせ、散った命を弔うために植樹した。戦後70年、そんな桜をめぐる。
さくら2015戦後をめぐる【1】知覧平和公園(鹿児島)
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