大阪・ミナミの繁華街から休日のざわめきが消えた。大阪市浪速区で9日に行われた第二次大戦で米軍が投下したとみられる1トン爆弾の不発弾の撤去作業。市は住民約2200人に避難を要請。南海電鉄難波駅南側の一帯は立ち入りが禁止された。爆弾は、作業開始から、約1時間半で撤去されたが、周辺の商業施設は一時休業し、南海電鉄も一部運休を余儀なくされた。避難した住民のなかには、戦時中の空襲体験を思い出した人もいた。
「午前8時から立ち入り禁止となります。避難してください」
午前7時すぎ、浪速区役所職員がスピーカーで住民らに避難を呼びかけた。
同7時半には、南海本線などの一部区間で列車が運休。事情を知らず、駅員に説明をもとめる利用者もいた。週末は競馬ファンでにぎわう場外馬券売り場、ウインズ難波は営業が終日休止に。商業施設「なんばパークス」も開店時間を遅らせた。
住民の避難先の一つとなった市立日本橋小学校の体育館ではベンチや水などが用意され、住民らが続々と詰めかけた。たこ焼き店を営んでいる森川保男さん(74)は営業開始時間を遅らせて避難した。「戦後70年たっても、こんな町中でまだ不発弾が出てくるなんて…」。
「開始せよ」。同7時55分、大阪市浪速区役所内の会議室に設置された対策本部。市職員ら関係者約100人が見守る中、陸上自衛隊の不発弾処理隊長が、処理現場とつながった臨時電話で隊員4人に開始を命じた。
爆弾の大きさは、直径60センチ、長さ180センチ。平地で爆発すると半径約1キロの範囲に破片が飛び散る威力をもっているという。
「70年前を思い出す」。対策本部に住民代表として詰めていた民生委員の岩上昭信さん(72)は、表情をゆがめた。
昭和20年の6月ごろ、疎開先の広島県福山市で空襲を経験した。まだ幼かったが、「人生で最も怖かったことで今も脳裏に焼き付いている。焼夷弾が落とされ、あちこちで火柱が立っていた」
一方、避難所には戦争を経験していない世代も。芸人活動をしているという池上智浩さん(33)は出勤前に避難。「今の日本で生活していたら戦争を感じることは難しく、不発弾があるなんて不思議な感覚。立ち入り禁止になり異様な雰囲気だった」と話す。
立ち入り禁止区域には、アニメ・ゲーム関連品を扱う店やメード喫茶が軒を連ねる通称「オタロード」が含まれる。静岡市から友人と観光に来たという会社員の男性(26)は当日初めて立ち入り禁止となっていることを知った。「最初は何かのイベントかと思った。本当に不発弾なんてあるんですね」と唖然としていた。
同9時20分に信管を抜く作業は完了。同9時36分に住民避難も交通規制も解除されたが、地元の町会長、宇野正也さん(71)は「不発弾は悲惨な戦争が残した置き土産だ。まだ戦後が終わっていないことを身をもって思い知らされた」と語った。
大阪・ミナミ不発弾撤去、無事終了
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