「悔しかった。まさか、日本が戦争に負けるとは…」。昭和20年8月15日、15歳の海軍兵士だった石毛好郎さん(85)は、現在の千葉県旭、匝瑳(そうさ)両市にまたがる香取海軍航空基地の掩体壕(えんたいごう)で、日本の無条件降伏を知らされた。真夏の太陽がぎらぎら照りつける暑い日だった。
掩体壕は敵機から飛行機を隠す防空壕。半分にした植木鉢を横に倒したようなドーム形をしている。1500メートルの滑走路2本が十字に交差する珍しい構造の基地には、格納庫とは別に掩体壕が25基あった。
この基地は建設中の17年4月18日、米軍による初の日本本土空襲で標的にされた。「真っ黒な煙が空を覆い騒然とした」。石毛さんは入隊前だったが、国民学校から見た空襲の様子が今も目に焼き付いている。
石毛さんの担当は戦闘機の整備。戦況が悪化すると、特攻のため硫黄島や鹿児島県の鹿屋基地などへ向かう機体も多かった。若い石毛さんにとって搭乗員は神様のような存在。「石毛! 石毛!」と、弟のようにかわいがってもらった記憶が残る。「今日、鹿屋に出撃するからな」と、絹の白いマフラーを手渡されたこともあった。見送った搭乗員は大勢いたが、無事に帰った人はいなかった。
20年6月頃から米軍の空襲は熾烈(しれつ)を極め終戦まで毎日のように続いた。空襲のたびに避難した掩体壕には、整備する部品も機体も、ほとんどなかったという。最後の出撃は8月14日、終戦前夜だった。
あれから70年。基地のあった一帯は田畑や工場になった。残された掩体壕と、十字の滑走路の面影が、のどかな風景の中で静かに歴史を記録している。
記憶の風景 戦後70年 水田に映す戦闘機の面影 千葉・香取基地跡の掩体壕
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