70年前の8月9日午前11時2分、長崎市に原子爆弾が落とされた。古くから南蛮貿易やキリスト教布教の中心地として栄えた街は、一瞬で灰になり多くの人が亡くなった。心身に深い傷を負った被爆者たちは、夏が訪れるとあの日の光景を思い出す。
「ガラスのきらめきと血の赤さが脳裏に焼き付いて離れない」と話す羽田麗子さんは、爆心地から約2.6キロの自宅前で被爆した。帰宅し家に入る瞬間、閃光と轟音、爆風に襲われた。家の中へ吹き飛ばされ家具の下敷きになったが、奇跡的に大きなけがはなかった。
翌朝、爆心地の方向から真っ青な顔で歩いてきた男性がいた。日ごろ「お兄ちゃん」と慕っていた近所の医大生。上半身裸で裸足、背中に突き刺さった無数のガラス片が光を反射していた。男性の母親が箸でガラスを取り除く度に吹き出す鮮血。男性は間もなく息を引き取った。
山田一美さんは爆心地から約2キロの自宅近くにいた。たまたま岩陰にいて助かったが、近くの川で泳いでいた友人の多くは命を落とした。その夜、列をなして逃げてくる被爆者を見た。眼球が飛び出した人、息絶えた赤ん坊を背負う若い母親…。けが人を乗せたリヤカーには蝿が集まり黒山になっていた。
無言で前を見据え進んでいく黒い行列。「いつまでも、どこまでも続くようだった」と山田さんは振り返る。終戦後、復員した叔父と爆心地まで歩いたときのことも忘れられない。広がっていたのは、街が消え遠くまで見渡せる、音もない灰色の世界。山田さんは立ちすくむことしかできなかった。
記憶の風景-戦後70年 音も消えた灰色の世界 昭和20年8月9日 長崎市
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