「義」の武将「上杉謙信」。頼って来る者は拒まず、毘沙門天の化身として正義の戦いを繰り広げる。ライバル武田信玄との争いのきっかけは、信玄に追われた信濃の武将たちを助けるためでした。謙信は遠征をよくしたことでも知られています。そのためか、領内の「軍用道」の整備には力を入れています。思えば、越後というのはかなり大きな国。春日山から同じ国内である新発田までの距離は約150キロ。これは武田の本拠甲府から長野市、北条の本拠小田原から高崎市までの距離とほぼ同じです。このような環境が、謙信に軍用道を整備させる要因にもなったのでしょう。春日山から飯山を通って(木島平、山ノ内・髙山、須坂)松代に至るルートが謙信道(けんしんみち)。武田信玄との戦いである川中島の戦いのときはよく使われたことでしょう。そしてその途中にあったのが飯山城です。飯山城は「上杉謙信が築いた城」と言われています。謙信が城を?って不思議な感じがするのですが、現地案内看板やパンフレットにも書かれているので、そうなのでしょう。といっても、もともとここは泉氏や高梨氏といった豪族が拠点を置いており、なんらかの城があったのだと思われます。川中島での戦いを通して武田に対抗するため、謙信がこの城を改修させたのでしょう。もしかすると謙信が縄張りを行ったのかもしれませんね。1564年10月1日に謙信自ら普請の完了を確認したことが伝わっています。これは何度も行われた川中島での争いの終わり頃のこと。最終的に武田軍は謙信がいない隙を狙って飯山城を攻撃しますが、落城させることはできませんでした。飯山城がこれ以上の武田の北進を防いだという見方もできるかもしれません。現在、飯山城の跡は公園として整備され見学できるようになっています。といっても飯山城は江戸時代の終わりまでずっと長く使われていた城。現在私たちが見ることができるのは、飯山城の最終形態です。ですが、基本的なつくりは昔からあまりかわっていないよう。中には謙信時代の面影を感じさせるものもあるはず。そんなことを考えながら城の跡を回ってみます。
日本の城【飯山城】信玄が北上を断念!謙信の城に残る巨大な崖が意味するものとは?
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