6月23日は78年前、沖縄県での組織的戦闘が終結した「慰霊の日」です。
沖縄戦では北海道出身者1万人以上が犠牲となりました。
その遺族の元に、1枚の兵士の写真が返りました。
慰霊の日。
沖縄は深い祈りと、平和の誓いに県全体が包まれます。
1945年3月、アメリカ軍が沖縄県に上陸。
激しい地上戦が行われ、軍人と民間人あわせて20万人以上が犠牲となりました。
このうち北海道出身者は1万人以上に及び、沖縄県以外では全国で最も多い人数です。
遺骨発掘ボランティア 浜田 哲二さん:「当時の小銃の“薬きょう”ですね。ということは、ここに兵士がいた」
沖縄戦で亡くなった人の遺骨発掘ボランティアを20年以上続けている、浜田哲二さんと妻の浜田律子さん。
旧日本軍の壕を掘り進めます。
遺骨発掘ボランティア 浜田 哲二さん:「このように完全に埋まっている場所には今も遺骨が残っている可能性があるので、何とか発掘作業をしなければならないのです」
浜田さん夫婦の元に、ある依頼が舞い込みました。
比嘉 盛勝さん:「遺族がいたら返してほしい」
沖縄県に住む比嘉盛勝さんが託したのは、1枚の兵士の写真です。
母親が持っていたものだといいます。
比嘉 盛勝さん:「この兵士が自分を背負って病院に連れて行き、傷口を縫った」
比嘉さんは5歳の時、遊んでいて誤って鎌で顎を切りました。
命に関わる大けがでしたが、兵士が軍の病院に運び治療を受けられたのです。
比嘉さんの母親は命の恩人の写真をもらい、大切にしてきました。
兵士はその後、戦死したと聞かされました。
遺骨発掘ボランティア 浜田 哲二さん:「お預かりします」
比嘉 盛勝さん:「よく探して、返してください」
写真の裏には「山部隊三四八〇藤井隊」の、「大光」か「大道」という姓が記されています。
資料を調べたところ、この部隊には「大道正公さん」という人物が所属していたことが判明。
出身地は北海道の十勝地方だということがわかり、浜田さん夫婦は北海道帯広市に向かいました。
近所に住む人:「全然、知らない」
戦没者名簿をもとに本籍地を訪ねたところ、すでに所有者は変わっていました。
しかし、近所に住む人から一家は釧路市に移り住んだということを聞き、調査を進めたところ大道さんの妹の子の所在が判明しました。
大道正公さんの甥にあたる岡澤公久さんです。
岡澤 公久さん:「私の母親の兄なんですけど、会ったことがない」
戦死した伯父の写真。
唯一手元に残っていた写真と見比べます。
岡澤 公久さん:「顔の形とか、うちの家系の感じがする」
生前、大道さんがけがを負った子どもを助けたというエピソードを伝えました。
岡澤さんは母親から「優しい人だった」と聞かされていたといいます。
岡澤 公久さん:「伯父の人となりが分かってよかったと思います」
顔が似ていることのほか、ポケットの刺しゅうや階級章が同じことから、岡澤さんは写真の人物が伯父であると確信しました。
浜田さんは念のため同一人物かどうか、AIを使った顔認証の世界トップクラスの技術を持つ会社に判定を依頼しました。
NEC 生体認証・映像分析統括部 山田 道孝さん:「顔認証システムならば本人としてゲートを開けたり、受け付けをOKしたりする値です。同一人物と言っていいと考えています」
遺骨や遺品の返還のタイムリミットは、刻一刻と近づいています。
岡澤さんは浜田さん夫婦とともに沖縄県を訪れ、伯父の写真を譲ってくれた比嘉盛勝さんを訪ねました。
岡澤 公久さん:「浜田さんから話をされて本当に驚きましたよ。こんなことがあるんだなと思って」
比嘉 盛勝さん:「写真は自分が持っていても、役に立たないから」
戦死した伯父・大道正公さんの遺骨は遺族の元に返らず、届けられた箱の中には砂が入っているだけでした。
岡澤さんは国の遺骨発掘の進め方に疑問を感じています。
岡澤 公久さん:「ボランティアではなく政府が人を募って事業を進めたら、もっと遺骨は出てくるでしょう。ずっと戦争と関わりを持って暮らさなければならない、沖縄の人はかわいそうだと思います。あんな良い所なのにね」
浜田さん夫婦が沖縄県で遺骨の発掘を続ける理由とは。
遺骨発掘ボランティア 浜田 哲二さん:「待っているよね、みんな。70年以上過ぎても、返ってくるのを待っているんですよね。『何か手がかりはないですか』と、誰も諦めていないよね」
戦後78年。
遺族の高齢化が進みます。
戦後78年 沖縄「慰霊の日」 遺品が遠く離れた北海道の遺族の元に…“命の恩人”だった兵士 1枚の写真がたどり着くまで (23/06/23 19:00)
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