北海道のナイトカルチャーをけん引している有限会社「アートライフ」。パリコレモデルなど多彩な経歴を経てクラブや飲食店を経営する、代表取締役の澤 知至さんにエンターテインメントの重要性やススキノ活性化の青写真を聞きました。
「アートライフ」は、2004年札幌市で設立。ススキノにオープンしたクラブ「フロールカフェ」からスタートし、北海道最大級のクラブ「alife sapporo」や「RIVIERA SAPPORO」、「SHOW MUSEUM JOLIJO」や、大人の遊び場をコンセプトとしたミュージックバー「SUPER SNACK」などを経営しています。
1:30 |「先生しながら五輪出場」ケガで夢を絶たれ"ディスコ"でアルバイト
――BOSSTALKの出演者史上最もイカした服ですね。
出演の前にペンキ塗りしていたら、ペンキが跳ねてしまって。既成品の洋服に、自分でいたずら書きをしました。
――子どものころは?
スポーツしかやっていない子どもでした。父がアルペンスキーの日本チャンピオンということもあり、スキーをずっとやっていました。
中学生の時は、陸上の大会出場を先生にすすめられ、中学3年生で初めて走り幅跳びの大会に出場しました。札幌の記録を作りました。
高校1年生時には、ハードル種目にも挑戦。走り幅跳びとハードルの2種目で全道優勝し、国体に出場しました。
将来は、先生をしながら、オリンピックに出場するという目標や人生の設計図がありましたが、高校生活の後半に背骨を折ってしまった。そこで、将来の目標が無くなってしまったので、「ぐれてやろう」と思い、ディスコでアルバイトを始めました。
――札幌市内にもディスコがあったんですか?
北海道民なら知っている人もいるかもしれませんが、「釈迦曼陀羅(しゃかまんだら)」「MAHARAJA SAPPORO(マハラジャ サッポロ)」「アルズ・バー」という札幌市内にあるディスコのエリートコースを歩みました。
4:12 | 「オンリーワンに」モデルとして東京から海外へ
――そこからナイトカルチャーへ?
全く違うんです。「ホリプロタレントスカウトキャラバン」の「第1回飛び出せ日本男児」に応募しました。細川茂樹さんや「笑っていいとも」に出演していた工藤兄弟がいて、彼らとともに最終候補の5人に残ったんです。その時に、東京のモデル事務所からオファーがかかり、モデルとして東京へ進出しました。
――当時の東京でモデルとして活動。華やかな世界でしたか?
華やかな世界でしたが、仕事がありませんでした。日本中から東京に集まるので。「オンリーワンになるしかない」と考え、体を鍛えあげました。
服が着れないので、オーデションに呼ばれないぐらい鍛えてました。海外からオファーがかかり、海外に拠点を移しパリコレにも出演しました。
――世界がどんどん広がっている感じですね。
今の自分を形成しているのは、スポーツよりも海外での経験ですね。イタリアのモデルの友達と2人で歩いている時、女の子と目が合いまして。
僕は素通りしたが、その友達が「今女の子と目が合ったでしょ。彼女たちはトモのことがカッコいいと思ったから見てたんだよ。振り返って見ていてあげようよ」と言ったんですよ。
「なんで?」と聞いたら、「彼女たちが振り返ったときに、僕ら男が背中を向けているのは。女性に失礼じゃないか」と。その後、その女性たちが振り返ったので、手を振ってカフェに行ったんですよね。
日本のカフェというと、お茶を飲むだけの文化だが、イタリアでは夕方になると音楽が流れ、アルコールも提供し、ちょっと踊る感じです。
カフェも時間帯で色々な形態に変わるんだと。そこで僕は、今の仕事につながるきっかけのお店の名前に「カフェ」と必ず付けてけたんですよね。
7:03 |結婚し子どもが生まれ北海道へ「自然豊かで伸び伸び育てたい」
――北海道に戻ってくるきっかけは?
海外から東京に戻り、「青山でクラブを買ったので、店長をやってくれないか?」と声をかけられた。店長として働く代わりに「タレントの卵やモデルを従業員で使ってほしい」と伝えた。全員モデルなので、某有名雑誌に取り上げてもらったり、見開き2ページでファッション雑誌に掲載されたり、お店はうまくいきました。
26歳の時に結婚して子どもができました。子どもは北海道で育てたいと思っていたので、これを機に北海道に帰ってきました。
――北海道で子育てがしたかった理由は?
東京では公園でボール遊びができないなど、規制がありました。僕は紋別市出身。自然豊かで伸び伸びと遊べる街で子育てをしたいと思い、北海道に戻ってきました。
8:41 | 「生活は豊かにできないが心を豊かにできる」
――北海道に戻ってからは?
東京から部下が6人ついてきてくれて、「フロールカフェ」というクラブをオープンさせました。
――お店はどうだった?
帰ってきてすぐは、昔の知り合いが遊びに来てくれて。僕がいるときは店がにぎやかで盛り上がっていたが、僕が外に出たりその日休むと「澤、いないんだ」と帰ってしまう。自分一人では限界がある。僕は経営者でもあり、プレイヤーでもあります。自分の代わりになる人間を育てたり、連れてきたりするのが仕事だと気づき、シフトチェンジしました。
――成功したんですか?
そうですね。時間はかかりましたけど。僕は昔から「一騎当千」という言葉が好きです。1人が千騎分の力を持つぐらいな人間になってました。当時から働いてくれている社員がまだいます。
小さいお店を買い、そこを任せる。クラブ以外にも焼肉屋やお好み焼き屋さん、レストランを合わせて10店舗を経営していました。
「alife sapporo」というハコを立ち上げました。実は立ち上げ当時、そこまでやる気が無かったんです。スタッフがたまたま「フロールカフェ」でイケイケだったので、不動産屋から300坪の大きなハコが開いているから見に来ないかというお話をいただきました。
ただ、すごくお金が掛かるので、絶対に無理だと思っていたが、一応見に行ったんですよ。そしたら、僕のイメージが湧いてきたんですよね。
その時に経営していた飲食店を売却し、お金を集めて「alife sapporo」を立ち上げました。
僕らの仕事は、人々の生活になくてはならないものではないし、なくてもいいと思っています。音楽は家でも聞けるし、お酒やご飯は家でも食べられる。
わざわざ僕らの業種に来てお金を使わなくても、生活には困らないと。ただ、僕の仕事は皆さんの生活を豊かにすることは出来ないけど、「心を豊かにすること」はできる。そう思い、「alife sapporo」を、僕らの業種を発展させようと想いやってきました。
12:33 |コロナで報酬ゼロ…気づいた"エンターテインメント"の重要性
――コロナ禍で影響を受けた?
新型コロナの感染拡大が始まったと同じころ、3月に「JOLIJO」というお店をオープンしました。告知もできないし、とにかく大変でした。僕含め役員の報酬はゼロに。また、社員とアルバイトを150人ほど雇っていたが、今後会社がどうなるか分からなかったので、会社に残るか否かをそれぞれに判断してもらいました。
――コロナ禍を経験し、今だから思うことは?
エンターテインメントは必要だということがすごく分かりました。コロナ禍で世の中全体が暗いニュースに包まれていたけど、お店に来たお客様はすごく楽しそうにしていたので。僕らの業種は「心を豊かにする」という部分で必要とされていると感じましたね。
――北海道で、ススキノで、これから発信していきたいことは?
ススキノは夜のイメージが強いと思うが、昼に新たな動きをつくりたい。昼間も子ども連れで楽しめるマチにしたい。新しいことや誰もやっていないことをやるのが好きなので。
誰かの真似をすることも大切だが、前例がないものに挑戦したいです。みんなと同じ考えでなくてはいけないとは全く思っていないので、僕は僕なりに文化を作りたいと思っていますね。
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北海道の活性化を目指すボス達と北海道の未来と経営を楽しく真剣に語り合う「BOSS TALK」(ボストーク)。廣岡俊光キャスターがBOSSの本音に迫ります。
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北海道のナイトカルチャーけん引…『心を豊かに』昼でも楽しめるススキノへ 「アートライフ」澤知至さん #BOSSTALK
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