長崎県佐世保市で、6万人以上が被災した空襲から80年。当時の海軍の防空指揮を担った地下壕(ごう)を取材した。その佐世保基地は、今も基地としての重要性が高まっているという。
■佐世保空襲 無傷だった「防空指揮所」とは?
佐世保市で29日、80年前に多くの市民が犠牲になった佐世保空襲の献花式が行われ、犠牲者に黙祷(もくとう)が捧げられた。
太平洋戦争末期、日本国内では、アメリカ軍による本土空襲が激化していた。終戦までに全国400以上の市町村が空襲の被害を受け、41万人以上の民間人が犠牲になった。
長崎県の佐世保でも、1945年6月28日深夜から翌29日未明にわたり、空襲に見舞われた。被災者は6万人を超え、1242人が亡くなった。そのほとんどが民間人だった。
当時、帝国海軍の軍事拠点・佐世保には、佐世保鎮守府などがおかれていたため、ターゲットにされたとみられている。
この空襲で鎮守府の建物などは焼けたが、地下壕にあった防空指揮所は無傷だったという。空襲に耐えた80年前の施設とは一体どのようなものなのか。
今回、テレビ朝日は、中の様子を特別に取材させてもらった。
安西陽太記者
「こちらが地下壕の入り口ですか。壁が厚いですね」
海上自衛隊 佐世保地方総監部
中村祐一広報推進室長
「はい。厚いところは2メートル近くあります」
分厚い鉄の扉を通り抜け、階段を下りていくと…。
中村広報推進室長
「こちらが地下防空指揮所の入り口です」
安西記者
「失礼します。おー!広いですねー!」
中村広報推進室長
「はい。約1000平米あります」
防空指揮所は空襲を避けるため地下に建設され、太平洋戦争中の1942年12月に完成した。ここには当時、30人~40人ほどが3交代で勤務していて、軍人だけでなく女学生もいて電話対応などを行っていたという。
戦後、不審火により内装は焼失したが、堅牢な構造の地下壕は今なお残っている。
安西記者
「あそことかすごい趣があるというか、その当時のままですか?」
中村広報推進室長
「この柱と柱の間に当時の鎮守府長官が座られて、正面の柱の間にスクリーンがございまして、そのスクリーンを見ながら対空戦闘・防空指揮を執っていたといいます」
この部屋には、さまざまな区域の情報室があり、そこで得た情報をスクリーンに映して状況を把握し、指揮を執っていたという。
指揮所が作られた当時、部隊などを統率していたのが、ミッドウェー海戦を指揮したことで知られる当時の南雲忠一海軍中将だ。
さらに奥に行くと地下2階に続く階段がある。地下2階がメディアに公開されるのは今回が初めてだ。10メートルほど階段を下りていくと…。
安西記者
「これは何ですか?」
中村広報推進室長
「こういうところに(通信用の)機械があったといわれています」
■“焼夷弾が落ちるの見た”惨禍の実相 後世に伝える
防空指揮所が無傷だった一方で、市街地は1000トン以上の焼夷(しょうい)弾が投下され、焼け野原となった。
旧佐世保空襲犠牲者遺族会 山口廣光副会長(86)
「6月29日には、そこ(佐世保市近郊)にいて絵を描いたんですけど、外は(まるで)映画を見ているような」
6歳の時に佐世保空襲を経験した山口さんは、もともと佐世保市の中心部に住んでいたが、空襲の1カ月前に郊外に引っ越し、佐世保の街に焼夷弾が落ちるのを見たという。
安西記者
「佐世保の街は何色だったんですか?」
山口副会長
「山の向こうが真っ赤になって…いわゆる炎でしたよね。探海灯がともって焼夷弾が落ちるのはちょっと記憶があります」
山口さんは、この空襲で親族7人を亡くした。
「おじいさんは警防団(空襲から市民を守る団体)の団長だったので、火事になったものを消そうとしていたが、逃げようと思った時にはもう火が回ってしまって。道路に防空壕があったんですが、その中に入って死んでいたわけです」
空襲の2日後、市内にあるおばの家を訪ねた。
「このくらいの部屋に、畳の部屋の下に防空壕があったんです。防空壕の中にみんな入って焼け死にです。真っ黒なお骨を1本か2本持って帰ったのを覚えています」
当時の記憶を今も鮮明に覚えているという山口さん。この時の経験を語り継ぎ、人間は話し合うことで争いを回避できることを伝えたいと話す。
「語り継ぐということができるのは人間だけです。語り合って、これはだめだ、これはいいと判断して、語り継いで戦いをせずに済むことができる。そういうことができるのは人間だけですよということを、今の若い人に教えたいですね」
そんな戦争の記憶を、子どもたちに伝える活動を行っている団体がある。
NPO法人「佐世保空襲を語り継ぐ会」は、廃校となった小学校の空きスペースに「佐世保空襲資料館」を設け、1500点以上の戦争に関する資料を展示している。
この日、資料館を訪れたのは、佐世保市内の小学2年生だ。ここでは、市内で見つかった焼夷弾の実物などの資料を触ることができ、子どもたちは焼夷弾を持ち上げるなどして、その硬さや重さなどを実感していた。
小学2年生
「本物の使ったやつ(焼夷弾)を見て、とてもびっくりしました」
「(Q.実際に触ってみてどうだった?)なんか石みたいな感じがして、これが使われたんだなと思うと、ちょっと怖かったです」
実際に触れることで、戦争の怖さを肌で感じ、平和の大切さを学ぶ場所となっている。
■今も基地は“西海の護り”に
そんななか世界情勢の悪化が、佐世保の基地の重要性を再び高めている。
佐世保基地は、国内最多の護衛艦の拠点となっていて“西海の護(まも)り”の要となっている。このことについて、海上自衛隊佐世保地方総監部の福田達也総監はこう話した。
「作戦基盤として、さまざまな後方支援を提供する役割を担っており、国内でも最大級の拠点として、その重要性は一層高まっていると感じています。国民の皆様に『安全と安心』を提供できるよう“西海の護り”をさらに強化しなければならないと考えております」
佐世保空襲から80年という節目で、基地の強化が図られるなか、山口さんはこう語った。
「佐世保は軍港都市です。どこが相手となっても佐世保は初めに攻撃を受けると思います。今の小学校、中学校、高校、大学生あたりがよく知っておいて、何かあった時、戦争はこういう状態で、こういうマイナスがあるから、戦争して得することはないんだからやめましょうと言う勇気を彼らに持ってもらいたいですね」
■基地増強…住民の理解得られるか
軍事拠点があったことで大規模な空襲に見舞われてしまったとみられる佐世保。今また基地としての機能が強化されるなか、住民の理解をどのように得ているのだろうか。
海上自衛隊佐世保地方総監部の福田総監は佐世保基地の重要性について、「理解し、支えていただくためには地域社会との関係は極めて重要。イベントへの参加、また自衛隊主催のイベントへ地域の人の招待などを通じて我々の活動に理解が得られるよう努力しています」としている。
(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年6月30日放送分より)
[テレ朝NEWS] https://news.tv-asahi.co.jp
佐世保大空襲から80年 無傷だった「防空指揮所」を取材 いま再び重要性増す基地【ワイド!スクランブル】(2025年6月30日)
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